平成28年12月21日、糸東流空手道正修館館長 西田稔師範が、慢性白血病のため御逝去されました。享年75歳。
西田館長は昭和16年、愛媛県大洲生まれ。12歳の頃より、現在では拳道学として著名な大西栄三師範の元で本格的に空手を習い始める。この大西師範の縁で、糸洲安恒の高弟である修道館・遠山(親泊)寛賢師範に師事。その数年後の昭和36年、再び大西師範の縁で、東恩納寛量の高弟である東恩流・許田重発師範に師事した。
昭和36年、若干20歳の頃に、東京都は十条に自らの道場である正修館を開き、修練を重ねる。その後、仕事の関係で一時期大阪に住むことになり、このとき、大阪に居を構える「糸東流二代目宗家の故・摩文仁賢榮」と出会うこととなる。摩文仁賢榮宗家は糸洲と東恩納から学んだ糸東流流祖・摩文仁賢和の長男である。昭和27年の賢和没後、二代目宗家として、また武道家として、体力気力ともにまさに油が乗っている賢榮宗家の空手を見た瞬間、自分が習ってきた首里手・那覇手と同じだと西田師範は直観し、摩文仁糸東流門下となった。遠山(親泊)寛賢師範、許田重発師範、摩文仁賢榮師範と、首里手と那覇手を本土に伝えた沖縄空手の大家たちから空手を学んだ西田師範。以後、一生を空手に注ぎ、その本質を求め続け、師の教えに沿って錬り続けたその術は、沖縄の手の、首里手と那覇手の、本質そのままを正統に伝えるものであった。